その9 活字中毒
夫婦して本好きである。本屋さん大好き。
中途半端に時間があいてしまった休日など、「本屋さんでも行こうか」。すでにレジャーである。
町のこぢんまりした本屋さんも捨てがたいのだが、やはりたくさんの本に囲まれたくて、より品揃えの良い本屋さんに足が向く。よく行く大型のショッピングセンターは、屋上駐車場からエスカレーターで一つおりたフロアに本屋さんが入っており、他の用事で来ていても素通りするのが難しい。あれやこれやと見ているうちに、無料駐車時間(そこはなんと3時間まで無料!)がアッという間に目減りしてしまう。
一口に本好きと言っても、私と夫では好みが180°異なる。私は、フィクション派、夫はノンフィクション派。本屋さんに入れば右と左。子供の本のコーナーで出会うことはあっても、自分の本を探しているときに会うことは滅多にない。
そんなに本が好きなら図書館という手があるじゃないと、おっしゃる向きもあるだろう。が!夫婦して、借りた本が落ち着いて読めないたちなのだ。読むのが遅いと言うのも一つの理由なのだろうが、返却期日が定められていると思っただけで、そわそわしてしまうのだ。
「読む本の好みが全く異なる」「借りた本が読めない」となれば、そう、我が家には本が2倍の早さでたまってゆくことになる。加えて、こんな仕事をしていれば、参考書籍のたぐいも馬鹿にならない。おそろしい・・・。本棚はすでにいっぱい。私のかつてのバイブル「ガラスの仮面」は、かわいそうに段ボールに詰められ天袋に押し込まれたままだ。
目下の悩みは、まとめて読む時間がなかなかとれないこと。子供&仕事&家事の合間を縫うようにして読む。Mactintoshが立ち上がるまで、このデータがプリントされるまで、歯を磨いている間だけなどと、自分だけの決まりを作って読む。本当にこまぎれな読書。物語が佳境に入ってくると、禁断症状で苦しくなってくる。すると、我が家は煮込み料理が増えるのだ。そう、鍋をかき混ぜながら読むのです。
ちなみに自分のために読むだけでなく、音読するのも大好き。子供に読み聞かせをするときは、結構工夫する。キャラクターごとに声音を変えてみたり、文章の間に歌が入れば、即興で作曲(?)までしてしまう。息子たちは、私の読む調子をすっかり覚えてしまっているので、NHKのテレビ絵本などでプロが読んでいるのを聞くと「?」という顔をしていたりしておもしろい。
好きな作家のひとりに、阿刀田高さんがいる。短編の名手、奇妙な味の作品で有名な方で、奥様が朗読のボランティアをなさっている。何かの対談で読んだのだが、奥様は阿刀田氏の作品は読みにくいとおっしゃるのだそうだ。氏の文章は、故意に主語をはずしてあったり、「〜と言った」という説明がなかったりして、そこが味にも、「間」にもなっているのだが、確かに朗読はしにくいだろうなあと思う。耳で聞いただけでは、なかなかつかみにくい場面もあると思う。文字を読むことは、同時に様々なイメージを働かせるものだから。登場人物の顔かたち、くせ、背景となる建物などのディテール・・・。読んでいるうちに行間に色が見えてくるような気がすることもある。頭の中でできあがった、私だけの「絵」は本当にスペシャルだと思う。
ああ、本っていいなあ。
暴言を承知で、やっぱり映像は原作イメージを越えられないと、言ってしまいたい。大丈夫、私たちが出している本が、ドラマ化されることはないから。だって、「よわむしのいきかた」の実写化って、無理そうでしょ?
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