上々日常 日々の色々を衣絵がテキトーにつづります。関係者のみなさま、笑ってユルシテ。
その1 家事のゆくえ
 

その7 愛車の真実

 我が家の初めての車は、もらい物のパルサーだった。しかも昭和生まれのマニュアル車。
 結婚前後は私がフルタイムで働き、夫は家で創作、という生活だったため、「頂けるものなら、ぜひ」というカンジでもらいうけた。
 当初から、カーステレオはモノラル(右からしか聞こえない)だったし、暖房はまあいいとしても冷房のききは最悪だった。けれども、足があるのはありがたいもので、このパルサーくんにはずいぶんと働いてもらった。ひょんなことから作品を写真に撮って、個展で発表するというスタイルができてしまったので、作品を色々積んでは休みのたびにロケに出かけた。
 年季ものだったので、そうこうしているうちにあちこちガタが来はじめた。
 まず、友達と伊豆方面へ旅行に行って、こともあろうに「秘宝館」を探して坂をあがり下りしているうちにクラッチが摩耗して走らなくなってしまった。しかたなく小田原の整備工場にあずけて小田急線で帰り、後日、わざわざ電車賃を払って車のお迎えに行ったという間抜けなエピソードもあれば、高速道路でマフラーが落ち、ちょうど後ろを走っていた道路交通公団の車に「えー前の車止まりなさい」と、マイクで呼びかけられたこともある。
 マフラーがはずれた車は、ゾク車か?!と見まごう音がでる。でも乗っているのは丸いめがねの丸顔の二人。一度、夜の駐車場でおでこの生え際が妙に鋭角的なお兄ちゃんに、車をのぞき込まれた。「俺のシマでなにしてるんじゃ〜」って雰囲気だったのだけど、私たちの顔を見たとたん毒気を抜かれたように帰っていった。期待してた容貌と、かなりの落差があったのだろう。
 サイドミラー(ドアミラーではない)はもげ、走っている最中にワイパーは飛び、ルームライトのカバーは落ちた。雨の中、ぬかるみでスタックしてしまった車を救おうと、無謀にも牽引しようとしたときには、世にも苦しそうなうなり声をあげた。エンジンがかなり熱くなっていたのだろう、ボンネットに雨が当たって白い湯気が上がった。
 きわめつけはライターソケット。カセットしか搭載されていなかったため、苦しい家計からカーCDプレイヤーを買ったのだが、うきうきする夫をしり目にうんともすんとも言わない。たばこを吸わないため気づかなかったのだが、ライターソケットもイカレていたのだ。
 細い道で対向車とすれ違うときも、こっちは全く惜しくないので壁にこすらんばかりに寄って差し上げる。サファリパークに行っても、馬がなめようが、猿が乗ろうが全く気にならない。
 こんなパルサーくんだったけれど、夫婦で持つ初めての車だったため、とても愛着があった。できの悪い子ほど愛しい的な、かわいらしさがあった。
 いよいよ廃車という日。夫はパルサーくんの写真を撮った。平日だったため私は見ていなかったのだが、壊れてしまったあちこちを写真に納め、最後にエンジンルームを撮ろうとしたところ、どうしても開かなかったのだそうだ。前日までは何でもなかったのに。
 夫は、「なんだか駄々をこねているみたいで、かわいそうになっちゃったよ」と言っていた。
 アクセサリー的な側面もある車だけれど、でも基本は「運ぶ道具」な訳で、それを全うできたパルサーくんはある意味幸せだったんじゃないかなと、私は思う。最後に開かなかったエンジンルームは、パルサーくんの無言のさよならだったのかもしれない。

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