上々日常 日々の色々を衣絵がテキトーにつづります。関係者のみなさま、笑ってユルシテ。
その1 家事のゆくえ
 

その22 かわいい貯蓄

 子供はふたり。共に男の子である。
 ゆえに、成長過程は、若干の差違こそあれ、進み方はほぼ変わらないわけで、かわいそうに次男の場合は新鮮みにかけるのは否めない。
 時々、長男の学校へ次男を連れて行ったりすると、先生始め色々な人から、「わあ、そっくりですねえ!!」「離れてても兄弟って分かるよね」などと言われるくらい似ているふたりではあるけれど、親から見た「かわいさ」はそれぞれで別なものである。
 もちろん、性格も違うので、感情のぶつけ方も違う。長男が楽しめる昔話のアニメーションを、次男は怖がったり、次男が平気で入っていける暗い部屋に、長男は尻込みしたり。その違いを見つけるにつけ、私たち親はほほえましい気持ちになる。

 動物の世界では、子供の頃は「かわいい」ということが条件であるらしい。
 厳しい自然条件の中で、小さくチカラのない子供時代を生き抜くには大人の庇護が不可欠で、それを引き出すために幼少期は「かわいく」なければならないというのだ。
 人間もしかり。
 幼稚園や保育園、デパートのちびっ子広場などで戯れる子供達は、顔かたちではなく、歩き方しゃべり方をふくめた存在そのものが、かわいい。幼いが故のつたなさや、それを補おうとするかのような一生懸命さも。何でもないことで泣いたり、ちょっとしたことで笑い転げる単純さも。多くの大人達は、庇護したい欲求に駆られ、毎日の子育てを乗り越えてゆくのだろう。

 先日、実家でちょっとしたマジック大会となった。ひもの結び目が移動したり、新聞に包んだグラスが消えたりという、大人から見ればネタばれのマジックも、子供達にとっては新鮮な驚きであったようで、目をきらきらさせて「もう一回、やってみて!」とせがんでいた。
 そのうち自分でもやってみるということになり、長男次男とも、それぞれ教えてもらいながらのチャレンジとなった。
 とはいえ、4才の次男にタネを教えてもまだ理解できようはずもなく、グラスの中のコインが消えるのは自分が「消えろ」と念じているからだと疑わない。
 実際は、テーブルの上の伏せたグラスの中にコインを入れ、ハンカチなどをかぶせてテーブル上で前後に滑らせているうちに中のコインだけをテーブル下に落とし、アシスタント役の私の妹が、別なところから取り出すというものだったのだが、マジシャン役である本人が一番ビックリして、一番喜んでいた。そして、それを何回も繰り返す。
 自分の念力によってコインが移動したのだと疑わないから、真剣そのもの。額にしわを寄せ、頬を赤くしながらひたすら「消えろ〜消えろ〜消えろ〜・・・」と念じてる姿が、かわいいやらおかしいやらで、涙が出るほど笑った。こんな時期はほんの一時で、あっという間に過ぎてしまうのが分かっているからこそ、貴重で大切に思えて、ちょっぴり違った涙も含まれていたかもしれない。

 我が家では、写真は撮るけれどビデオは撮らない。第一、持ってないし。
 運動会や発表会などでは、学校でも幼稚園でも、驚くほどのレンズが並ぶ。旦那さんはビデオ、奥さんはカメラと分担している家が多い。私ももちろんカメラを構える。
 けれども、自分の子供だけを望遠レンズでねらっていると、周りの様子が見えなくなる。徒競走の結果や、発表会のダンスの流れはわからない。なるべく、この目で見たい。記録もしたい。ジレンマである。夫君には肉眼係をお願いし、もっぱら割り切ってカメラを構えることになる。
 そういえば、子供が赤ちゃんだった頃、何度まぶたでシャッターが切れたらと思ったことだろう。抱っこしてこちらを見上げたときとか、安心しきって胸にほっぺをくっつけて眠ってしまったときとか。この角度でシャッターが切れたら、どんなに良いかと。けれど、そのシーンは写真には残っていなくても、私の記憶には残っている。その時の光とか、においとか、ぬくもりとか写真では残らないものと一緒に。
 思うに、親は子供が生まれたときからの「かわいさ」を蓄えているのではないだろうか。記憶や心のどこかに、ハードディスクならぬ「ハートディスク」があって、日々の小さなかわいさや、その子がいることで生まれるうれしさなどを逐一ためているのだ。なんのために?近い将来訪れる、反抗期や親離れの時のために。「くそばばあ」や「うっせーなー」にうち勝つために。

 下の妹には2才になる女の子がいる。実家で顔を会わせたときに、
「お姉ちゃんとこの子もかわいいけど、やっぱりうちのこだよ〜」
「何言ってるの。うちの子の方がかわいいに決まってるじゃん」などと冗談半分に言い合っていたら母が
「いいえ、うちの子の方が絶対にかわいい!」と、言い切った。
「うちの子って、私たちのこと?」
「決まってるじゃない」
「かわいい」貯蓄は、目減りしないらしい。もしかしたら、孫という利息が付いて、増えてゆくものなのかもしれない。

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