上々日常 日々の色々を衣絵がテキトーにつづります。関係者のみなさま、笑ってユルシテ。
その1 家事のゆくえ
 

その15 三つ子の魂この子にも?

 結婚して家を出るまで、明治生まれの祖父と大正生まれの祖母、父と母、そして私たち三人姉妹の三世代七人で暮らしていた。下町とはいえ、当時でも結構な大家族の部類に入っていた。
 家業は呉服屋。着物も売っていたが、主に染み抜きや洗い張りなどを請け負っていた。店の隅にはたばこを売るカウンターがあり、その内側には祖母の使う、今から考えればかなりアンティークでかわいらしい黒いミシンがしつらえられていた。ハイカラな祖母は、いつもきれいにお化粧をし、ミシンを踏みつつ店番をしていた。
 店の奥には、五つ玉の大きなそろばんとか鯨尺なんかが置いてある小さな帳場があり、そこは年代の割には大柄な、祖父の定位置であった。父と母は二階の仕事場で、染み抜きやときもの(それぞれのパーツに分けるため、着物をほどく作業。ちなみにとかれた着物は、祖母の上糸のみのミシンによって、一枚の反物状となる)などをしていた。
 なにぶんにも小さなうちであったので、私たち子供は店から出入りしていた。困るのが学期末、通信簿をもらってくるときであった。
 まず、祖母に見せてそのあとに祖父、二階に上がって、父と母に見せなければならない。やはりそれぞれに、お言葉があり、成績が下がってしまったときにはびくびくものであった。大きな雷が落ちることはなかったけれど、家の中に4人も大人がいるというのは、ある意味子供にはプレッシャーであった。
 さて、四重にわたる検閲を経た通信簿はというと、次の行く先は仏様。お仏壇にあげて、チーン!手を合わせ、遺影でしか会ったことのない曾祖父母にも報告して、やっと解放されるのであった。

 ご多分に漏れず、年寄りのいる家庭というのは厳しい。
 食事は必ず正座で、小学校高学年になる頃には、くるぶしの近くにうっすらと座りだこが出来た。
 そして食事中には、やれ肘をつくな、ご飯とおかずは交互に食べろ、箸の持ち方が違うとくる。だけど、ぎすぎすした雰囲気ではけしてなかった。自営業であったから、朝晩の食事は必ずと言っていいほど全員で食卓を囲み、今でいう「孤食」とは無縁。学校であったことから、ご近所の噂、家紋や慣用句まで、話題は実に豊富。その合間に、「口にものを入れてしゃべらないのよ」とクギが刺されたりするわけである。

 迷信、ことわざなどにもことかかない。
「お米には7人の神様がいる」
「残り物には福がある」
「夜、口笛を吹くと蛇が来る」
「夜づめを切ると、親の死に目に会えない」
「フトンの上で針を使うと、目がつぶれる」などは序の口。祖父は暦を見て、爪を切る日を決めていた。
 曰く「手の爪は寅の日、足の爪は丑の日に切るんだよ」
どうして?とたずねる私に、祖父はこういったのだ。
「良きものをトラまえるために、手は寅の日。悪し(足)きものをウシなうために、足は丑の日なんだ」
語呂合わせもここまで行けば立派!他では聞いたことがないので、もしかしたら祖父のオリジナルなのかもしれない。

 三つ子の魂、百までもという。
 さもありなん、と椅子の上に正座をして新聞を読みながら思う。
 何かが見あたらないとすぐに聞いてくる息子達に、
「七たび探して人を疑えっていうのよ」といっている自分に気づき、苦笑する。
 核家族なのに、いうことが古くて厳しめの我が家。私たちのいうことが、息子達の中にどれくらい残っていくのかしらと、年の割には器用に箸を使う二人を見て、思う。

閉じる