上々日常 日々の色々を衣絵がテキトーにつづります。関係者のみなさま、笑ってユルシテ。
その1 家事のゆくえ
 

その1 家事のゆくえ

自宅で仕事をしている。夫も同様である。
 必然的に、仕事=日常と言う図式ができあがり、Macで写真の加工やブックデザインをしていても、「おかあさん、おしっこ〜」と言われれば、次男のパンツをおろしてトイレに連れて行くし、「そうそう、晩ご飯に使うお肉、解凍しておかなくちゃ」と、冷蔵庫に走りもする。
 夫もまた同じく、机に向かって、次の本の内容などにペンを走らせていても、「あ、燃えないゴミの当番だった」とつぶやきつつ、ほうき片手にゴミ捨て場に出向くし、長男が学校から帰れば、宿題を見てやったりもする。
 家事について、夫は協力的である。かなり、とつけても良いくらいに協力的である。
 お風呂掃除、洗濯物たたみ、ゴミの分別、は言うに及ばず、くつも洗えば、食器も洗う。掃除もするし、子供の世話なんて、得意中の得意だ。ウンチ、おしっこどんと来い、いつも体のどこかに、子供らがへばりついている。
 この状況が普通だったのだが、どうも世の中とは、ずいぶんと違うらしい。
 高校の時の友人たちには、「あんたのところは、全然参考にならない」と言われてしまった。世の旦那様は、脱いだら脱ぎっぱなし、食べたら食べっぱなしと言うのが当たり前のようなのだ。
 そう夫に言うと、「そりゃあそうだよー。一日外で働いてた人と比べたら気の毒だよー」。なるほど、そうかもしれないが、私は、はじめが肝心だったのではないかと、密かに思っている。
 結婚を1年後に控えた1990年、彼は会社を辞めた。フリーになったのだ。私は全く気にしなかったが、うちの両親も気にしていなかった。後から考えれば、よく許してもらえたものだと思う。私たちは同じ職場で働いていたのだが、彼の「結婚したら、どちらかが辞めなければならない不文律があるんです。あそこは、女性に働きやすい職場だから、衣絵が残る方がいいと思います」という言葉に、納得した(真に受けた?)らしい。
 で、結婚前1年間と結婚後の約4年間、私がフルタイムの会社勤めをし、彼が家で創作をするという逆転の生活が続いた。
 ひとり暮らしが長かったためか、家事を取り仕切る事に、何の抵抗もなかったようだ。甘え上手な私は、お弁当まで作ってもらったことがある。あり合わせのおかずに、お肉を焼いて詰めたものだが、ご飯の上にのりで「リーチ」と書かれていたのが忘れられない。何故「リーチ」なのかは、今もってナゾだ。
 二人して家で仕事をするようになっても、彼のまめな性格は変わらず現在まで続いている。こう書くと、あまりにも私が何もしていないように見えるのだが、料理だけは「おまえがやってくれ」と言われる。そのほかは、気がついた方がやるというアバウトな取り決めで(気づく人=学)日々暮らしている。
 ずぼらな私を正当化する、いい口実はないかしら?と考えていたら、ひらめいた!
「父親、男の人から見た子育てや家事のことなんかを、本に書きなよ〜。男性からの視線で書くと、おもしろそうだしさあ」と、目下口説いている最中である。

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